平成から令和へ、Life goes on的なやつ。

英語で “Life goes on” という表現がありますが、日本語に訳してしまうのはいささかもったいない好きな言葉です。

“Life” とは、生命、人生、生活、と、文脈によって様々に訳されます。

私たちは、それらの言葉を区別して使いますが、英語の世界では区別していません。

ライフというラベルしか持たない彼らにとっては、生命も人生も生活も、ぜんぶいっしょ。

これだから「向こうの人」は大味で繊細さに欠けるよ、とも言えますが、ライフに関しては、そんな大らかさが私は好きなのです。

生きることとは、食べて栄養を摂取し、そのエネルギーで活動し、ウンコを出し、眠って体を作り修復することの繰り返しです。

これは、”Life goes on” です。

私たちはそこに、ハレとケだとか、メリとハリだとかでもって、ややこしく複雑で豊かな彩りを加えることを、誰に教わるでもなく勝手にやります。

何代も昔の人たちも、これから命を受け継いでいく人たちも、相変わらず泣いたり笑ったりしておかしみのある日々を永々と続けるのです。

これも、”Life goes on” です。

喜びで有頂天にあるときもあれば悲しみで絶望の淵に立たされるときもある。そして今日もいいウンコが出た。日本語だとこれらのことを同じ言葉で表せません。

だから、”Life goes on” は英語のままがよいのです。

皆さん、いいウンコしてますか。

正しい呼吸法

呼吸は、吐くことから始まる。

呼吸に限らず、まずは出さねば入らない。

いっぱいいっぱいなのに、まだまだ入れようとするから入らない。

インプットばかりではいけない。アウトプットしなくてはならない。

溜め込んで溜め込んで、吐きだせないから苦しくなる。

捨てなさい、手放しなさい。そうすれば、自然と手に入る。

そう教えてくれた人が、近頃「息がしにくくて仕方がない」と呟く。

たとえば、意図せず失ったら。

スペースができても、そこに何も入れずにおきたかったら。

私には解が見つからないけれど、やっぱり、食べて動いて出して眠るんだと思う。

案じて思いを馳せている人間の存在が、幾許かでも息のしやすさに貢献できたら幸いです。

生理の授業

小学校5年生の頃、予定にはなかったのに急に先生が、「今日は掃除をします」と言い出しました。

男子生徒は校庭を、女子生徒は調理室を掃除する、と言うのです。

学期の終わりでもないのになんで?と思ったのですが、調理室に集められた女子生徒が掃除をすることはありませんでした。

代わりに、生理についての授業がありました。

生理のしくみだかのビデオを見せるために先生が教室のカーテンを閉めようとしたときに、

(そんなことしたら校庭にいる男の子たちにあやしまれるんじゃ・・・)と心配になったのですが、

窓の外で掃除しているような遊んでいるような男子達の姿がちらりと見えて、不要な心配だとも思いました。

ビデオの後で、ナプキンの使い方を習ったと思います。

最後に、小袋に入れられたナプキンが配られました。

中学入学時でも138cmしかなかった私には、 これから大人の女性になっていくのだということは実感の湧かない話ではありました。

でも、教室に戻って男子達と合流したときに、特に目くばせするでもなく、調理室の掃除をしてきたように各々澄ました顔をしている女子達を見て、大人の女性になっていくのだと感じたのでした。

家に帰って、母に、「学校で生理の授業があってナプキンもらったけど、使わないからあげる」と言いました。

すると母は、黙って私を抱きしめてから、「いつか生理になったときに使いなさい」と言いました。

まぁ、それから随分とやってこなかったので、そのうちナプキンも行方不明になりましたが。

初めての白髪

人生で初めての白髪が生えました。

初潮を迎えた日のことなどサッパリ覚えていませんが、初白髪の衝撃だけは生涯忘れないことでしょう。

初白髪は、主張の強いアホ毛でした。

いつからそこにいたのかと、考えただけで恐ろしい。

37歳でも白髪がないことは秘かな自慢でしたのに、ついに数少ない私の自慢が去っていきました。

母に、「ついに白髪が生えた」と告白しましたところ、「あなた、いつもマメに染めに行ってるからいままで気づいてなかっただけじゃないの?」と、私の傷心をちっとも慰めてはくれないのでした。

可愛いおばあちゃん

「可愛いおばあちゃんになりたい」なんて言っているのを聞くと、「ばあさんナメてんのかコラ」と思います。

生きていれば、心の内に可愛くない感情が宿ることもあるのです。

こういってはなんですが、なにかでうっかり死んでくれたらいいのに、と願ってしまうようなことだって起きますよ。

人生ですから。

そうしたおぞましい感情の蓄積に耐えながら、いつのまにか忘れたりして、何十年も生きるのですよ。

私のような若輩者ですら、もはや可愛くなど居れないのです。

しかし、私の祖母を見るにつけ、なぜこの人はこんなに可愛らしいのかと、不思議に思います。

近年、穢れのない少女のようにますます可愛らしくなっている気がします。

祖父が死んだからかな、という気がしています。

あ、手前味噌で恐縮ですが、祖母は私のストレッチのおかげで坐骨神経痛が出なくなったようです。

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