『29歳のクリスマス』をまた見たら労働問題に考えを巡らす羽目に

今年の冬は暖かいので、まだいかにも冬らしい冬服を出していなかったのだけれど、そろそろウール素材のスカートやらを引っ張り出してきて寒さに備え始めている。

毎年毎年、去年は素敵だったはずの服がなんだかすごく「去年っぽさ」を漂わせるようになり、え?こんな服だった?と思うことがある。

いやになっちゃうよ、本当に。いざというときのために奮発した白い服がほとんど出番なく古臭くなったときの悲しさといったらない。汚してもいいから着ておけばよかった。

ところで、この時期の夕方になると、昔は必ず『29歳のクリスマス』が再放送されていた。

再放送されすぎて、本当はいつ放送されていたドラマなのかよく分からなくなっていたのだけど、1994年だそうだ。なんと25年前。え、そんなに昔!?

ということは、私は14歳だったわけで、14のガキンチョは何が面白くてあのドラマを毎週楽しみにしていたんだろう。

最近はめっきり再放送されなくなってしまって、フジテレビのネットテレビ配信サービスでは観られるらしいけど、とりあえずそうじゃない方法で観てみました。

ただの恋愛ドラマじゃないことに今更気づいた

あの頃すごく大人に見えていた山口智子も松下由樹も柳葉敏郎も、みんな若い!幼さすら感じられる。やっぱり25年前のドラマだったんだ。

仲村トオルは飲酒後でも当然のように「送るよ」とか言って車に乗るし、腰掛けOLの水野真紀のデスクには電話しかないし、誰もが所構わず喫煙する風景は、やっぱり25年前である。

まぁ、でも、そういう時代を感じさせる風景は想定内のことでもある。

しかし、想定外に「時代」を感じさせるものがあった。

山口智子や松下由樹のセリフに、「男ってのは」とか「女ってのは」といった男女を明確に分別しようとするものがやたらと多いことである。

正直言って、ちょっと耳障りに感じるくらいに、二言目には「男は」とか「女は」とかすぐ言う。

とりわけ「女は男とちがってそんなに簡単にいかないのよ!」といった内容のことを言っていることが多い。

そして、男性陣はといえば、どいつもこいつもやたらと「俺はこの手で夢をつかむんだ」と言う。

こちらは、そういう内容のことを言うという意味ではない。ダイレクトにそのまま同じセリフが何度も出てくる。

仲村トオルも、山口智子演じる典子の元不倫相手も、松下由樹演じる彩の元不倫相手も、みんな「俺はこの手で夢をつかむんだ。そのためには君が必要だから、ついてきてくれ」と言う。

ちなみに、目標設定シートを一人で黙々と達成し、今年メジャーでアメリカン・リーグ新人王に輝いた大谷翔平という男が生まれたのも1994年である。

ところで久しぶりにこのドラマを見ていて「そうだった、そうだった!」と思い出したのだが、典子の元不倫相手も、彩の元不倫相手も、これ以上ないくらいの大根役者が演じていたことだ。

棒読みしたくたってここまで棒読みできないぜ。この二人が出てくると、もう話の内容に全然集中できない。どんなに真剣なシーンでも笑いがこみあげてきてしまう。

笑ってはいけないシリーズでこの人たちが出てきたら全員瞬殺できると思うんだけど。

なぜ彼らがキャストに選ばれたか謎であるが、夢ばっかり語る不倫男をお笑いに仕立てたかったのかもしれない。

一方、柳葉敏郎が演じる賢は、夢に敗れた男として描かれる。

一見ほかの男性陣と異なるように見えるが、敗れた夢に未練がましく愚痴をこぼしてばかりいるあたり、同じ価値観の中で生きていることには変わらない。

そして結局、典子も彩も、男性の夢についていかない道を選ぶ。

あぁ、このドラマって、そういうドラマだったのか。と今頃になって気づいた。

単純に、29歳の男女の恋愛模様を描いただけのドラマではなかったのだ。

男女の雇用機会の差別が禁止されていなかった1994年

男女雇用機会均等法が改正され、企業の事業主が募集・採用、配置・昇進・福利厚生、定年・退職・解雇にあたり、性別を理由にした差別を禁止することが定められたのは、1999年である。

同法は1986年に施行されたものだが、それまでそうした禁止項目の多くは努力規定であった。

『29歳のクリスマス』が放送されていた1994年はまだ、女性という理由で採用されない、昇進できない、異動させられる、退職させられる、といったことがあっても法律上の違反ではなかった。

登場人物の女性がことあるごとに、「男は」「女は」と言うのはなんだか差別的で嫌だと感じたけれど、時代背景を考えたときに、差別を受けているのだからそれも仕方なかったのか、と考えなおした。

女性が社会で生きていこうとしたときに、女性だから、という理由で様々な障壁にぶつからなくてはならなかった。

男性が無邪気に夢を語るのに、女性にはそれができなかった。

男性の夢に乗っかるしかなかったのだ。

でも、それをしないで生きることを選ぶ女性、がテーマのドラマだったのだということに気づいたわけである。

たった25年前までは、女性が社会に出て働くことがまだまだ夢だったのだ。

いやぁ働かないでいいなら働きたくないけども。毎日ドラマの再放送でも見ながらぐうたら過ごしたいところなのだが。

女性も、年寄りも、外国人も、みんな働け、の時代になったいま、かつての29歳は54歳になった。

夢を語っていれば女性がついてきてくれた男性と、男性には現れることのない障壁にぶち当たりながら戦ってきた女性。

会社にいれば、そこそこ偉くなっているはず。

もう25年経った。

日々少しずつ、時は移っていく。

ところで話が突然戻るけど、もうそぐわなくなった服は、取っておいてもクローゼットを占領するばかりか、新しい服も仕舞えなくなる。

ときには懐古に浸るのもいいけれど、どんなに思い入れがあっても、私は潔くクローゼットを整理できる人間でありたい。

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