整体師に転身してみた37歳がタッキー芸能活動引退について思うこと
年末の嵐のコンサートに落選した悲しみを記事にしていたら、そういえばもう年末なんだな、ということに気づいた。
私たち昭和56年生まれにとって、2018年のビッグニュースは紛れもなくタッキーの芸能活動引退である。(え?ちがう?)
彼は早生まれだから厳密には昭和57年生まれなんだけど、同学年のスターと言ったら小泉進次郎でも荒川静香でもなく、滝沢秀明だ。
だって子供のころから一緒に育ってきたようなもんですからね。向こうはそう思ってないと思うけど。
あのタッキーが引退して後身の指導者になるって、そりゃ私も年を取ったわけだわね、と思わずにいられない。
そういえば、初の平成生まれが新入社員で入ってきたあの頃、「みんないい子で真面目なんだけど、なんだかガッツを感じないのよね」とかなんとか言って、まだまだ机をバンバン叩きながら怒るオッサンとかが溢れていた新卒時代を過ごした自分たちとのギャップを感じていたっけ。
そんなこと言ってたら、その初の平成生まれ世代もすでに後輩を持つようになっちゃって。
22歳でちやほやされてた頃、37歳の会社のオバサンなんて恐れる対象以外の何者でもなかったな、なんて思ったりする。
会社にいたら、男なら37歳は油の乗った一番活躍できるとき。いや、会社員ならそうあるべきときなのだろう。
でも女の37歳はそんなに画一的にいかない。これからどう働くか、どう生きるか、どう年を取るか、いつも心のどこかで迷いの消えない時期なのかもしれないような気がする。
だからこそ、タッキーの芸能生活引退のニュースは、男性よりも女性の心に刺さったんじゃないかしら、なんて思うのである。
私たちにもあった少女時代をタッキーと振り返る
引退後はジャニーズ事務所の社長になるとかいう噂も流れたが、そうなったとしてもそんなに驚くことではない。
ジャニー喜多川のエンタメの精神を引き継ぐ者としてふさわしいのはタッキー以外にいないと思う。
タッキーはそのくらい、ジャニーズの中では絶対的な存在だが、そのわりに一般受けはあまりしなかった人だ。
彼の一般受けした作品は、「木曜の怪談」のなかで放送されていた「怪奇倶楽部」が最初で最後なんじゃないかと思う。
1995年から放送された同番組であるが、まるで天使のような顔立ちをした少年に、女性視聴者は「あら~かわいい」と衝撃を覚えたはず。
でも、大河の主演を務めたことなんか誰も覚えていないし、「魔女の条件」を覚えている人はいるかもしれないが、あれは松嶋菜々子のドラマだ。もっと言えば、宇多田ヒカルの「First Love」のドラマだ。
ふつうの人は、タッキーと言ったら「タッキー&翼」の片割れくらいにしか思っていない。私たち世代の女性を除いては。
だって私たちは「愛LOVEジュニア」を見ていたから。
ジャニーズにもタッキーにも興味が無い人はとっくにこの記事から離脱しているだろうから、あえて「愛LOVEジュニア」とは何かの説明はしない。
けれど、記憶を正確にするために、放送時期は説明しよう。1996年4月8日~1998年9月28日らしい。
ということは、タッキーが14~16歳のとき。え、そんなときからジュニアを束ねて司会してたの?
プリクラ、ポケベル、たまごっちが流行し、私たちはみんなソックタッチを携帯してアムロを崇拝し髪にシャギーをいれていた。
かと思えば、PUFFYとかCharaっぽいスパイラルパーマでROSE BUDのショッパーぶらさげて、みたいなオシャンティーな勢力もいて、でも結局みんなジャニーズが好きだった。自分がいつか37歳になるなんて夢にも思わず、19歳の心境すらわからずSweet 19 Bluesを聞いていた。
そのときすでに、彼は社会人として働き、後輩たち(なかには年上もいた)を束ねていたのだ。
不思議と、そのときタッキーが好きだった、という人はあまり聞かない。恐らく、タッキーはもうジュニアというより同じく司会のヒロミの相方みたいに見えていたからかもしれない。
あまりの重責に、ジャニーズをやめようと思っていたこともあったらしい。
そのタッキーがいま、ヒロミと二人でDIYをしている姿を見ると、なんだか楽しそうに見える。
きっと、私たちが新卒の頃に怒られまくったかつての上司と、いまごろになって「あの頃は大変だったけど楽しかったよな」なんて思い出補正バッチリの過去を振り返ったりするのと似ているのだろう。
そしてこれから、タッキーは自らの芸能活動は辞めて、あの頃とは比べ物にならない大きな組織となったジャニーズジュニアの指導をしていくことになる。
いつかの経験が、いまごろ何かの役に立つ
タッキーの、タレントから指導者への転身。もう表舞台に立って歌わないし踊らない。ドラマにも映画にもCMにも出ない。そうした経験は、後輩の教育に活かす。
とはいえジャニーズに人生を捧げているかのようなその生き様を前に、私なんかの転身と比べてしまっては恐れ多いのだけれど、なんとなく、この年で少し人生を変えてみる、という点において共感できるものがある。
これまでの会社員のキャリアから整体師になる、というのは、なんだか何の繋がりも脈絡もない転身で、これまでの人生がパーになるようで、ちょっとした不安はあった。
けれど、機能解剖や生理学についての学習は、まさに学習であり、小学生のころから日能研に通って勉強に慣れてきた私にとってはたいして苦ではなかったし、むしろ面白かった。
手技の体得には苦労したが、体を使うことは、それこそ小学生のころから机にかじりついて動くことがなかった体を、ここへきてやっとほぐす作業になった。
個人事業でWEBサイトを運営するなら当然、SEO対策は必須なわけだが、小さなころから読書が好きだったし、一応は慶應の「文」学部を卒業しているわけだから、まぁ文を書くことも苦ではない。
そして何より、会社員の経験は、会社勤めでたとえデスクワークであろうとも、実は体を酷使していることを理解するのに貴重な経験となっている。
だから、一見なんだか説明のつかないような変化であっても、あまり恐れすぎる心配はないように思う。自分で決断するならなおさら、きっと自分でも気づいていない何かが繋がるんじゃないかしら。
ところで急にジャニーズの話を連続で書くことになってしまったのであるが、こんなことは会社にいれば、期待できる効果をプレゼンし、社内で承認をとり、関係者に根回しし、と色々面倒な手続きを踏まねばならないところである。それを思いつきで勝手にできちゃうのはフリーランスの良いところではある。
しかし、WEBサイトである以上、Google様のご機嫌だけは損ねてはいけない。「オマエのとこ、整体のサイトじゃなかったんか!」とGoogle様が困惑されてはいないだろうか。
そこらへんがちょっと心配ではあるけれど、MAICCA。
ストレッチインストラクター。13年間のデスクワークの後、ストレッチと体幹運動で重い冷え性と生理痛を克服。デスクワーカー向けのストレッチレッスンをしています。
主婦の友社のウェブメディア「OTONASALONE(オトナサローネ)」でヘルスケアライターとしても執筆中。